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2009年5月22日金曜日

「断らない力」もあるはずだ(5)

さて、断れないのは、主張がないことを意味しているという。 ほんとうにそうだろうか。
日本人が、自己主張をしないことは一般によく言われる。ノーといえない日本人、あいまいな日本人の背景に、あまり自分の意見をいわないことも、日本人のよくない点とされる。
たしかに、国際的な会議でも発言は少ないし、欧米人や中国人が、口にあわを飛ばしながらよくしゃべるのに対して、日本人は沈黙をむねとしているともみられている。
しかし、主張をすることはそんなに価値があることなのか、価値が高いことなのだろうか。2つの点で疑義がある。第1に、根拠があいまいにもかかわらず、主張するのは偽装ではないだろうか。いいかえれば、無知にもかかわらず、本人が理解していないだけなのに、自己主張を強調することはあまりにもピエロにしかみえない。
ある高名な学者が強く主張している時に、その根拠をたずねたら一言、日本人は単一民族だからと、いわれ唖然としてしまったことがある。彼は単に地位を利用していいかげんな主張していただけである。合理的で妥当な根拠があったわけではなかったわけだ。
第2に、明確に主張をするということは、いわば、ゼロとイチ、にわけろ、yes、noをはっきりしろということだが、簡単に2つに分けらることはそんなに価値が高いことなのか。あいまいであったり、その中間的な解がある場合はすくなくない。それをはっきりしろとせまって、中間を排することは、誤りしかおもえない場合が経験的にも多い。英語でさえ、insistということはほとんどない。あえて断定せず、mayを使うことも洗練した表現とされている。また英国では、badといわずnot goodというように婉曲にいうことが奨励される。成熟した言語ほど、あいまいに言いまわす言語技術をもっている。進んだ国だから主張をきちんとするのではなく、成熟しているからこそあいまいな表現をしているのではないか。

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