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2015年12月12日土曜日

「日本的経営の編成原理」

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 この本は1977年、いまから40年も前の著書です。考えてみれば、まだ、日本企業が、米国で、その成功を過剰に褒められる前に、日本的経営の特徴を、米国にいた経験を踏まえて、国民的心理特性や社会的関係をもとに解きほぐしているのです。
 この本はすでに古典に属する名著といってもよいのですが、あらためて、読み始めてみてビックリしたのは、著者の研究の動機が、戦後に欧米から新たな経営手法が導入されたにもかかわらず、日本企業の経営が、戦前とあまり変わらなかった理由を検討することにあったということです。
もちろん、多くの論者は、終戦を、大きな転換点としてみるし、財閥解体、農地解放を含め、日本的企業経営が変わったとみることもできます。しかし、実は、企業はその導入に慎重で、あまり変わらなかったという認識は、新鮮なものでした。それが、日本企業の成功を導いたという指摘もまた新鮮な驚きです。
 そして、欧米の個人主義と日本的な集団主義を比較しながら、企業経営には、集団主義のほうが適しているというのも、ひとつの重要な見方と、改めて感じます。とりわけ、欧米の経営手法を安易に取り入れることに熱心なあまり、失敗した例は、最近東芝に見るように、枚挙にいとまがありません。日本的経営がすべて正しいというのではなく、現在のような、グローバルな経営環境で、修正が必要であることは言うまでもありません。しかし、それは、日本的経営の良さを放棄することではないことも、この本が教えてくれました。まして、欧米と日本の質的な相違を、「遅れている」という、時間的な問題に還元する議論は稚拙と言わざるを得ません。それは、現今のインダストリー4.0の議論にさえ感じられることです。
 このような進取の気概にあふれる経営学が、かつてあったことにノスタルジーさえ感じます。米国流のポジティビスト、実証主義的研究、いいかえると、客観的因果関係を過剰に重視する経営学の研究が、経営学を悪くしたとさえ、私は思っています。この著書のように、ていねいに論じるという精神、姿勢が、数字に頼りすぎることによって、減少し、論旨展開、修辞的筆致に感動する論文が少なくなったことを悲しく思います。
このような研究者が、この大学にいたことは、驚愕ですし、もはや、そのかけらもないことにも、驚きを感じます。


2015年12月10日木曜日

明治維新とは、

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文明国をめざして (全集 日本の歴史 13)

を読みながら、

今、明治維新後のドタバタを読んでいますが、ほんとに、印象が変わりました。幕府開国派と、長州の復古派との戦いで、長州が勝って、しかし、開国を進めた。もし幕府開国派が勝ってもその後の大きな歴史が変わっていないとすれば、果たして明治維新が、革命と言えるのかどうか。今に続く大きな負の遺産がなかったかも。

尊王攘夷の長州が、なぜ、明治維新後に、開国に転じたのか、私にとって謎でしたが、この本で、理解しました。幕府がきずいた外交の流れを継承したこと、海外の状況を知って、攘夷ではないと悟ったことですね。しかし、いわば、ISISのように、原理主義の人間にとっては、それは裏切りだと感じて、反政府運動が盛り上がった。それに、身分の失った旧幕府の侍たちが、呼応したという、複雑な事情ですね。その旗頭に、西郷がまつり上げられ、本人の意図とは別に、です。政府側も、この機会に西郷をつぶそうとしたようです。びっくりぽん、、です。