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2015年3月29日日曜日

あきれてものもいえない

私をめぐる事件は、学位審査をめぐる問題から、様々な問題が、噴出したのです。

そこで、最初にもどって、最後に、学位問題を、アカデミックハラスメント、パワハラとして、学内の人権委員会にうったえました。もう1年前になります。
教授会で、白票が出て、否決となったため、指導上から、修正して再提出の流れを、いやがる当時の学部長を説得して、修正ポイントを示し、再提出にむけ、進めたのです。しかし、私が審査委員になれないため、別の教員が審査を担当することになったのですがこれが偏執的なひとで、「松島の研究はダメだ、こんな論文は、学位を通さない」と言い放ったため、院生は、この大学で学位を目指すことを諦め、別の大学院に入り直すことを決意したのです。
入学がほぼ決まったのであらためて、これは、学位という大学院生の権利を侵害するものだとして、アカデミックハラスメントとして、訴えたのです。もちろん、前代未聞です。

1年間もかけて、先週、弁護士も入った人権委員会の結果がでたと、連絡がありました。
こういう結果になるとは想像はしていましたが、しかし、実際にそうなってみると、ほんとに大学というところはどうしようもないところだと感じます。
見事にゼロ回答でした。事実を確認できなかったというものでした。

加害者の話から、そういう事実は確認できなかったといますが、、加害者が、人格に劣れば劣るほど、認めるはずもありません。特にこの教員のひどさは、学部でもみんな知っていますが、でも、かばうんです。
セクハラで、被害者が訴えているのに、加害者が、そんな覚えがないと言って通るものか、考えてみればわかるはずです。身内をかばった判断、身内に甘い体質、世の中も見るでしょう。

それなら、すべての授業をビデオにとれ、といいたいくらいです。証拠を被害者が揃えろというのは、強者、権力者の言い分です。それを恥と思わない大学とはいったいなんなのでしょうか。どこに領域があるのでしょうか。これでは、院生を、嘘つき、被害妄想と、言っていることと同じです。そういう感覚のなさに、驚くばかりです。

大學における人権委員会とは、被害者の立場に立ち、被害が大きくなり、それこそ裁判になるような事件を防ぐ機能だったと思うのです。これでは、文句があるんだったら、法に訴えろと居直っているようなものです。逆です。
大學に雇われる弁護士というのは、大学を守るように行動するのです。

これでしたら、やはり人権委員会は学内ではなく、完全に学外の第3者で構成されなければ、公正な判断あの期待できないというものです。人権意識のなさに驚くばかりです。
被害者は、もうこの件は終結したい、武蔵にきたことさえ忘れたいと言ってます。大學はが学生をなんだと思っているのでしょうか。

私も大学の世界とは関係なくなりましたが、大学の改革なんて、妄言ですね。ありえない。