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2023年7月7日金曜日

マイナンバーのどこが問題なのか

 今回の問題の大もとは、国民のIDを連携せずに各種データを肥大化させてしまったこと、日本語の漢字、ひらがな、カタカナそれも半角・全角をばらばらに使用してきたつけです。それを今回、連携しなければ、今後、まともな福祉サービスができなくなるということです。今の非効率性は、たとえば、3万円の補助金を2万円の事務費用をかけて支払うということです。あおるだけのメディアは日本にとって害悪です。

かつて1990年前後に、国民背番号制といわれ、共通のIDを導入する計画が、潰されました。それ以降一番大事なデータの連携がデータの目的外使用が、大幅に制限されました。

そのことによって、共通IDがない、個別のデータベースができ、どんどん、大きくなってしまいました。

かつて発生した消えた年金問題も、ここに本当の原因がありました。

それが、コロナ禍で、補助金を配布する際に事務作業が課題で、直ぐには支払えない手作業で事務を行なっている、データが繋がっていないと、批判されました。

原因は全て、このつながらないように制限した30年前の政治的決定にある訳です。

それを今回繋ぐ作業、つまり、まずIDを設定してそこに、いろいろなデータを繋ごうとするのが今回のマイナンバーです。いわば失われた30年を取り戻すことです。

しかし、ことは30年間で、データを使うアプリは拡大していますから、それらを繋ぐ作業は、大変です。長年かけてダメになった虫歯はすぐには治りません。システム屋的な経験から言えばほぼ不可能なレベルです。

なんの繋がりもないデータを、繋ぐのは、ひとつひとつ、照合、手作業、目で、行うことに等しいです。トラブルが起きて当たり前。

影響最小限で、トラブルを発生させて、修正するしかありません。

住民記録は、各自治体ばらばら、年金は、社会保険事務所の管轄、税務は財務省

健保は、厚労省健保組合、と管理主体がばらばら、縦割りの弊害。

国民の識別は、名前と生年月日で、確実に認証できるわけではありません

その作業を国民に、ネットを通じて、繋ぐことでカバーするつまりマイナポータルで、自分で繋げば、間違いは少なくなります

自治体職員や健保組合職員が行えば、間違いは一定割合、発生します。それが今吹き出しています。

冷静に考えてみれば、漢字、ひらがな、カタカナを、使いこなしてきた日本語の曖昧さが、その背後にあります。

本当はそういう説明をして国民に協力要請すべきなのですが、マイナンバーに反対する人にも、野党にも、大変だと強調すれば、やめろという声を増大すると考えれば、手控えます

丁寧な説明は必要だという、コメンテーターは、一見もっともらしいですが、まともな説明をしようとすれば、長い説明時間、正しく理解されるか、どうか、不確実、説明すればわかりあえる、は、幻想です。

システムの話を、まともにして、理解されるとも思いません。

今回のトラブル騒ぎで、マイナンバー、いえ、国民のID整備ができなければ、今後の政策実施、福祉政策は円滑にできなくなります。

沈静化することを、神頼み、する毎日です。

私たちはシステムの専門家として、システム的観点で、考えるべきと思うのです。つまりほとんどは政治的発言で、システム無関係の発言、トンチンカンな対話に聞こえます。

健康保険証を来年秋、廃止を撤回しろ、撤回しない、これこそ、政治的議論でシステム的には無内容な議論です。政治的発言の趣旨は、敵失、敵の失点を狙い、またそれを防御する、と言うものです。戦国時代でいえば敵の大将の首を取ることが目的です。

健康保険証、大事なのはマイナンバーを介して、IDを繋ぐこと、IDによる統合です。これが今回の大きな目的です。

つながらないからこそ、行政サービス、福祉サービス、不便なのです。

マイナンバーに紐付けする話と、カードを持ち歩くかどうかは、別の議論、便利な運用が大事なことは当たり前です。それは使ってみて柔軟に変えればいいことです。

統合した後に、マイナンバーカードと別に保険証を発行することはあっても良いと思います。それは廃止ではなく、更新です。存続とも違います。何がダメか、今の健康保険証のデータが不正確だからです。本人認証も不十分つまり、本人でない人が相当数使っていても、それを見つけられないのです。この問題を放置したら、無駄に保険支払いが行われますし、行われています。ですから、今の保険証が使えているから、そのままでいい、ではなく最低限、写真を貼るべきです。

こんなまともなシステム的議論なく、廃止する、しない、だけ議論しています。政治的議論です。政治的議論が、議論だけならいいですが、システム的に不条理な、政治的妥協で、変なシステム的な政策が決まってしまうことが少なくないのです。

消費税の軽減策など、典型です。 8% 10%の違いが不明確なのに、実施が決定されました。

システムは合理性が基本です。合理性にない政策が、妥協で決まると、曖昧な仕様が、システムに強制されます。

ですから政治的議論は危険なのです。 実行できる、合理的な解決策の議論こそ、必要なのです。

敵の首を取るための政治的議論、システム化の邪魔です。


2023年3月31日金曜日

EDIの展望(4)

EDIアプローチのDXこそが必要である。。 これまで、EDIを利用しないこと、つながらないことの不利益を述べ、導入するための手順や項目の標準化を進めてきた。中小企業が導入しやすいように、中小企業EDIも開発されてきた。 しかしながら、それは、大きな流れをつくることには至っていない。魅力的に映っていないからであろう。 その原因については言いつくされた感が確かにある。費用負担、人材不足、経営者の理解不足、それぞれ妥当性はある。 しかし今回の報告、燕、門真、住友商事、三菱商事、日立などの取り組みは、このコミュニティに参加することの価値はつながることだけではなく、それ以上に、提供するサービスに参加する価値を感じさせているように思える。 そのサービスとは、ビジネスマッチング、共同受注、などであり、つまりつながることの価値は業務効率化ばかりでなく、その付加価値サービスこそ、コミュニティに参加する大きな動機であったと感じる。 そう考えれば、中小企業EDIの課題は、つなぐことへの標準化以上に、また、他のEDIと接続する以上に、中小企業EDIを基盤とする中小企業への付加価値となるサービスの欠如、コミュニティ形成不足にあるのではないだろうか。 すなわち、今回の大きな発見事項は、接続性、しいて言えば、技術的課題の解決を優先するのではなく、中小企業の経営者に響くサービスを提供するためのコミュニティの創出ではないだろうか。 それが一定の規模を獲得できた段階で、他のコミュニティとどうつなぐかという次の課題がより積極的に、解決するはずである。

EDIの展望(3)

 受発注の各コミュニティの重要な成功要因は、そこで提供される付加価値サービスに依存する。つまり受発注機能は、必要機能であるが、十分な機能ではない。そのサービスの魅力を高め、中小企業が参加する誘因となる、サービスの創出こそ、欠かすことができないEDIコミュニティ機能であることが、今回の調査事業で明らかにされた。


その付加価値機能のデザインに際しては、第一に参加企業同士の共助による価格差別化であり、ビジネスマッチングなどである。さらに、受発注の前後のプロセスとの連携、たとえば、物流との連携、決済との自動化への連携などである。

そこではサービスを創出するための重要な要件が産業データ連携であり、それこそ、基盤が持つ重要な役割であり、できる限り、事前にアーキテクチャとして考慮しておくべき活動であろう。

EDIの展望(2)

 1.環境変化の動向とサプライチェーンにおけるデータ連携の必要性

日本社会としての大きな環境変化として、少子高齢化、経済安保、さらにグリーントランスフォーメーションがあげられる。さらに言えば、働き方改革、物価高騰による価格転嫁、賃上げ要請も含めてもよい。

企業間業務連携、データ連携の観点からも脱炭素の取り組みはサプライチェーンに沿ってカーボンが積み重なっていく量を測定する必要がありここでは受発注にかかわる基本データが共有すべき基本データとなる。
さらに、製造プロセスの後工程には配送という物流業務が続いており、ここでのデータ連携の不備は、2024年問題といわれるように、ドライバー不足、炭素排出の最小化という、物流の様々な問題を助長することになる。最適配送は、極めて重要な取り組みテーマであって、それには、受発注データとの効果的な連携が必要であることは言うまでもない。
西濃運輸における、内閣府「スマート物流サービス 「地域物流」の取り組み~SIPプログラム~は、生産管理からの出荷情報と、物流における集荷配送計画とを連携する大きなチャレンジである。
https://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/freight/content/001512971.pdf

また、中小企業への賃上げ要請が政府、経済団体より、提起されているが、いわば、「無い袖は振れない」であり価格転嫁が全企業に広がるはずもなく下請け構造においては、価格転嫁できる企業、製品サービスは限定されざるを得ない。もちろん、事業再構築こそ、中核的なテーマであるが、基本は財務基盤の強化にあり、そのためには売掛債権の早期回収、資金回転を円滑にするEDI、とりわけ受発注とインボイス発行、送受信の効率化というバックオフィスの生産性向上が、喫緊のテーマである。
インボイスは、中小企業に負担を強いるものであるとして、特に小規模企業の対応遅れが問題視されているが、少なくとも小規模企業のデジタル化への重要な着手点になりうるのであって、この機会を見逃すことは、日本にとって大きな損失でもある。岐阜県の「デジタルインボイス活用モデル推進事業デジタルインボイス連携基盤(岐阜モデル)構築・実証事業」は、小規模企業を巻き込んでのデジタル化を支援する試みとして注目したい。

さらに、日本のものづくりの強みで会った品質に関して、品質不正などの問題が生じ、その影響はSNSなどの急速な伝播を前にして、迅速な情報対応が元得られている。すなわち、最終製品の品質不良を迅速に部品、材料にまでさかのぼって企業を探索し、どの工程で生じたかを解析しなければ、効果的な対応ができるはずもない。製品の部品表とサプライヤー、工程、製造日時、ロットの識別などがデータで識別され化ければならない。それは製造データだ絵でなく受発注データとつながっていなければならない。
その解決に向け、中部品質管理協会・IoT時代の品質保証研究会の報告書『2030年の品質保証~モノづくりからコトづくりへ~』さらに、(株)ジェイテクトの事例報告などの取り組みを参照したい。
https://iv-i.org/wp-content/uploads/2020/03/symposium2020-spring_08-2.pdf

これらにみるように、受発注の情報、すなわち商流情報は、受発注業務処理のためのものだけではなく、サプライチェーンにかかわる基本情報であることを再認識したい。

2.事例調査、分科会活動から導出された所見
今回の事業において、いくつかの事例研究と3つの業界の協力を得た分科会での討議を行った。それらからの所見をまとめる。
事例研究は、主導する主体によって特徴づけられる。燕市での取り組みには市町村が主導する域内中小企業の取引支援であり、門真プラットフォームは地域の受注側の中小企業が主導している。住友商事は発注者主導で取引先との情報共有を促進している。三菱商事も、素材商社として取引先との連携を支援している。TWX21は、日立グループの取引先との情報共有。とりわけ品質情報の共有に取り組んでいる。
このように、自由参加のオープンなコミュニティではなく、一定の企業間関係による限定的な連携によって構築されている。それは、単にデータ交換が目的ではなく、それを用いたビジネスマッチングなど、参加者、企業間での効果的な付加価値サービスを伴なっている。すなわち、このサービスを必要とする参加企業にち負っては価値であるが、そのサービスにメリットを感じない参加企業にとっては、負担でしかないという利害関係の共有が基礎となっている。いわば参加することの利益を共有するコミュニティの存在が、共通基盤の存在を合理化している。このような利害を共有する関係をセミクローズなコミュニティと呼んでみる。
参加企業間での利益増大を目指すならば、できる限り付加価値サービスを強化するとともに、業務連携を強化することによって、マッピングレスの連携となり運営コストが低減されることが期待できる。このようなコミュニティは、決してオープンでなく、参加、退出に関する一定のルールに基づいている。
マッピングレスとは、業務間、データ間でのする合わせをすることなく、データ交換を可能にする。かつてERPが輸入されたときベストプラクティスと呼ばれる標準的業務のアプリを使用することが奨励された、しかし、現在の業務との乖離が大きかったためフィットアンドギャップという擦り合わせ、カストマイズが相次ぎ、それが標準的導入手法とさえ言われた。その禍根が、2024年の崖、となるDXが提唱される直接の要因とされている。
らと名が提供するアプリ基盤はそのような業務連携を標準アプリを使用することによって容易なデータ連携を可能にするかもしれない。幸運なことにクラウドアプリは、マルチテナントアーキテクチャを採用しているため個別ユーザーでのカストマイズを原則として、許容しない。ユーザーサイドでの変換に頼ることになる。ラトナの取り組みが大きな基盤に与える影響は決して少なくない。分科会での活動は、極めて地道に、業界でのデータ項目の洗い出しを続けている。
ラトナのような標準的なアプリが整備されたからといってすべての中小企業がすぐにそれを実装するわけにはいかない。それは自社でできても取引先企業があり、特にそれが発注企業であれば、余計にその間をマッピングしなければならないからである。
したがって企業間での項目の共通認識、標準化作業、意味を共有した辞書作成、それなしにはマッピングレスに到達しない。ERP導入におけるカストマイズの連鎖を繰り返すのみである。
今回の分科会活動における共通項目の抽出、ひょうじゅんかへの取り組みはそのための意一里塚で会って決して到達点でhないことを、討議に参加したメンバー自身が任したことは大きな成果であり、各分科会とも、継続的活動を要望していることがその証左である。

3.共通基盤に求められる諸要件
共通基盤の価値はすなわち、活用及び運用における大きな価値は、any to any の取引を開始する際の準備時間が最小化できることであり、運用に際して、人手を介すことのないシステム間の自動取引を最大化できることにある。
事例にみるように様々な利害関係にあるコミュニティが共通基盤を介して取引を行おうとする大きな潮流を発見した。では、これらのコミュニティが増えれば、あるいは淘汰され、統合されれば、共通基盤として十分であろうか。
一つは、共通基盤の参加者は単一の共通基盤に依存するのではなく、複数のコミュニティに参加することは、普通のことである。そのような事態において、webEDIで生じたような多画面問題が必然的に発生する。其れを避けるには共通基盤が提供するサービスではユーザーインターフェースを提供するのではなくAPIを介してデータを提供し、ユーザー側でのアプリ、例えば、ERPなどのパッケージアプリに、ユーザーインターフェースをゆだねることである。複数の共通基盤からデータが提供されていても、ユーザー側のアプリの画面で一元的にオペレーションが出来るようにする。それが個別の共通基盤の必須要件である。

では、個別の共通基盤があれば、かつユーザー側でのユーザーインターフェースが確保されていれば、十分であろうか。各コミュニティは。提供される付加価値的なサービスを共有、又は共同利用している。もちろん、別のコミュニ敵に参加してそのサービスを利用するとすれば、サービス間のデータ連携はユーザー側で行うことになる。例えば、受発注から出荷までの企業間の取引のサービスを受けた後に配送業者に週かを依頼するとしてそのデータを各企業がするよりも、受発注の共通基盤から配送業者にデータ連携する方が効率的な自動的な処理を志向できる。つまり共通基盤同士がシステム間取引を行うことで、かつそこにAIを活用することで、タイミングよく業務連携が、人手を介さず可能になるかもしれない。
さらに重要なことは、別の基盤い参加している企業が本当に実在している企業かどうか、信頼に足る企業かどうか、データ連携するための重要な要件である。そのすべてを個別共通基盤で担うのは、かなりの負担であるし、リスクもある。配送業者からすれば、ほんとうに、その集荷注文は、実在するのか、電話がかかってくるならまだしもシステムからAIが自動集荷注文が出されたとすれば、それは、明確な注文データによる出荷であることを同時に証明することで注文の実在性が担保される。
同じように、インボイス、すなわち適格請求書が発行でき、それに基づく、銀行振り込み処理が金融機関とのAPI接続によって実現できる基盤盤サービスがあったとして、それが正しく注文されたものかどうかは、別の受発注基盤にアクセスして照合しなければならない。従来それらを人が介在していたことであるが、その自動化の取引では、別の共通基盤で認証しなければならない。つまり注文番号と請求番号のID連携が必要である。
私たちが提起している産業データ連携基盤とは、個別企業が直接利用するよりも、これまで個別に構築され、運用されてきたコミュニティごとの共通基盤サービスをサポートして相互につなぐことを容易にする共通基盤であると考えて良いだろう。

今回のスタディから、様々な共通基盤が様々な付加価値的サービスを提供しており、それは完全にオープンな参加者というより地域、業界、企業グループなど、一定の制約のなかで、信頼と認証がなされており、いわばセミクローズなコミュニティをベースとしたサービスであることがわかる。
それらは、統合や淘汰もされるであろうが、参加者に価値をもたらすコミュニティサービスが持続し、その基盤どうしを効果的につながることが、私たちが進めている産業データ連携基盤に求められる根源的な役割であると考える。

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EDIの展望(1)

 日本の産業における生産性を向上させるために、デジタル化を進めることによって取引の効率化を達成しようとする。

企業間の取引が紙やFAXからネットによる電子取引に移行しつつあるが、必ずしも十分とは言えない。発注企業と受注企業、他業種との取引等では、多大な調整作業が必要となり、膨大なマッピング作業を費やしてきた。

しかしながら、取引の生産性向上、効率化のためには、できる限り人手を介することなく自動的に、システム間で取引が完了し、それは受発注から決済までの全プロセスを含むものでなければならない。

企業間の取引、さらに各プロセス間を仲介する機能として共通基盤を設定した。これを利用することで、企業間での調整作業が激減し、新規参入を促し、競争環境と協調環境を整備することで、日本全体での生産性向上を達成するものである。

3つの業界をケースとして、共通基盤への道筋を明かにしようと試みた。

まず各業界における共通項目の検討を通じて、共通基盤の機能についての共通理解を図った。

さらに、事例研究を通じて、具体的に共通基盤に具備する機能役割について新たな認識を得ることにした。

業界での共通項目の抽出は、一定の成果を得たが、期間的にも十分とは言えないが、それ以上に、業界といっても小分類的なサブ業界であっても、項目の相違は想像以上に大きく、その原因が受発注の局面において、単なる注文情報のみならず、設計仕様、品質仕様などの情報が一体となって受発注情報を構成しており、企業間、取引間で何を共通とすべきかどうかさえ疑問が提起された。何を基準に、また目指して共通化するかの検討が不可欠であることも明らかになった。

共通基盤にむけた出発点にたてたといってよい。何より、項目の意味理解の共通化、であり、これを国際基準に照らして整合性、適語整備を図る必要があるだろう。いわば、業界の方言を、業界横断の標準語に、移行する必要があり、今回の事業において、その共通認識に立ったといえる。

これらの検討を業界を単位として進めることは、妥当ではあるが、事例をスタディすることで、共通基盤を実際に実施、提供しているケースでは、多様な形態があることもわかってきた。

共通基盤とはけっして、国にひとつあればよいのではなく、多様で複数の基盤ら、構築、提供されることは、好ましいことでもある。

燕市では自治体が主導して企業間のEDIを進めており、官民連携のモデルケースといえる。しかしそこには、前向きの企業を超えて、これ以上、参加企業をどう増やしていくかの課題が見られる。

ラトナ社は共通基盤に標準的なアプリ機能を具備しようとしている。もちろん、このメリットは大きなものがあるが、ERPの反省も踏まえ、果たして、カストマイズなしで、普及可能かどうか、大きな課題である。

住友商事の取り組みは、グループ間取引のモデルであり、日本における商社の新たな役割りといえる。グループ内にとどまるか、オープンなプラットフォームに拡大するか、検討課題である。

受発注プロセスは、商流情報を生成するためのものであり、業界横断で取引を可能にする大きな役割を持つが、機能を横断するための情報でなければならない。すなわち、一つは受発注時点において品質仕様、設計仕様のデータが不可欠であるが、これは商流データではなく、別の品質情報と設計情報の基盤を準備する必要おmあるだろう。とりわけ、グリーントランスフォーメーションのための脱炭素へのトレースのためのEDIも必要である。

また出荷データは物流と連携することで、運輸配送業界との共通基盤構築のポテンシャルとなる。

商流と金流の連携はすでに着手されているがインボイス制度の普及に対応して、peppolを中心とした新しい基盤が求められている。岐阜県の取り組みはそのchallengeである。

汎用的なユニバーサル基盤が可能かどうか、参加者限定の共通基盤とするのか、も今後の重要な基盤デザインの要素であることも重要な論点である。

のように受発注EDIの整備は、業界横断、からプロセス横断、具体的には、品質トレーサビリティ、製品設計、物流連携、インボイス対応などとの連携を踏まえた、更なる基盤検討が求められていることも、明らかになった。継続的な事業遂行が期待される。

2023年3月22日水曜日

伴走型支援とは

 伴走型でない支援

相談に乗る

一回の派遣

経営者と話す

先生といわれる


2022年8月23日火曜日

中島みゆきに想う

 中島みゆきを、1975年ヤマハのポプコン、「時代」でグランプリ受賞のころから聴いている。テレビ番組のテーマソングなども数多く手がけ、もはや国民的シンガーソングライターといってもよいだろう。

しかし、その歌詞にはいつも、努めて明るくふるまっている強がりの姿が見え隠れする。「時代」は、“そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ、あんな時代もあったねと、きっと話せる日がくるわ、だから今日はくよくよしないで、今日の風に吹かれましょう”、今はつらいけど、そのうちよくなるという淡い希望を忍ばせて、今の自分の背中を押している強がりを感じる。

「地上の星」は、“見送られることもなく、見守られることもなく、地上にある星をだれも覚えていない”、ここにも孤独な自分を奮い立たせている自分の姿が感じられる。もちろん、NHKの看板ドキュメント番組「プロジェクトX挑戦者たち」の主題歌で、堂々たるメジャーな曲なのだ。しかし、この寂しさは、挑戦者たちに共通する孤独感、寂しさを表しているのだろうか。番組のほとんどは苦難への挑戦にハッピーエンドが待っているのだから、もっと明るくてもよいのではないか。

「空と君との間には」は、“君を泣かせたあいつの正体を僕は知っていた、引き留めた僕を君は振り払った”、いつも中島みゆきにとっての“僕”は、陰で耐え忍んでいる。これも、日本テレビ系ドラマ「家なき子」の主題歌だ。

「ファイト」は、“闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう、ファイト、冷たい水の中を、ふるえながら登っていけ”、この歌は、生命保険会社のCMソングで、野球少年がバットを振る場面のバックに流されている。明るい風景のはずが、ここには、見下された“君”が汗をかきながらではなく、冷たい水の中でもがいているように見える。

「狼になりたい」は、“夜明け間際の吉野屋では、・・・わらえるやつはいいよねあ、みんないいことしてやがんのにな、ビールはまだか、狼になりたい、いちどだけ”、ここでも、壊れそうな自分を抑えて、そして、自分を鼓舞し、馬鹿にするな、アイツら、今に見ていろ、と、つぶやいている“僕”がいる。

中島みゆきの歌は、恨み節といわれることが多いが、恨みというテーマは演歌でも多い。藤圭子の「夢は夜ひらく」は、“15,16,17と私の人生暗かった、過去はどんなに暗くとも、夢は夜ひらく”と、つぶやく。ここには特定の個人への恨みはない、“私”の過去の境遇に対する恨み言であっても、加害者を恨むのではなく、過去を振り返りながら、かすかな夢を見つけようとしている。

中島みゆきの歌は、いつも被害者の視点で加害者を眼前で見つめている。動こうとして動かない自分にコンプレックスを感じながら、“僕”は被害者として加害者を恨んでいるかのようだが、そこに加害者の姿は見えない。では、“僕”の被害妄想なのだろうか。中島みゆきの歌の世界は、被害者と加害者の対立状況を作り出しているが、加害者は姿を見せない。

被害妄想は、被害が妄想であること、つまり、本当はなかったのかもしれないのである。しかし、それは加害者の側に害を与えている意識がないのかもしれない。被害を受けている本人にしか感じない感覚かもしれないし、あるいはそう思っていることがすべて妄想なのかもしれない。自分にしか聞こえない音はすべて幻聴なのか、自分にしか見えない光はすべて幻覚なのだろうか。動物たちの中には、人間が見ることができない暗がりでの光が見え、可聴域を超える音を聞き取るものもいるという。人間でも普通の人が見えないもの、聞こえない音を把握できる人がいてもおかしくない。

被害者がいて加害者がいないということは、私たちが他の人を傷つけていても気付かないということかもしれない。自分の成功の裏に、選ばれた幸福と、選ばれなかった不幸が表裏一体にある。win winとは言うが、そう簡単ではない。

ウクライナが被害を受けていることは膨大な画像からほぼ間違いない事実である。しかしロシアもNATOの拡大に脅威を感じていると、被害者を装っている。これは本当に被害なのか、被害妄想なのか。交通事故では加害者の家族も被害者であり、ある気味で、加害者も被害者という。いじめの加害者もまた被害者だという論者もいる。中島みゆきの世界にもまた被害者しかいないのだろうか。