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2015年12月12日土曜日

「日本的経営の編成原理」

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 この本は1977年、いまから40年も前の著書です。考えてみれば、まだ、日本企業が、米国で、その成功を過剰に褒められる前に、日本的経営の特徴を、米国にいた経験を踏まえて、国民的心理特性や社会的関係をもとに解きほぐしているのです。
 この本はすでに古典に属する名著といってもよいのですが、あらためて、読み始めてみてビックリしたのは、著者の研究の動機が、戦後に欧米から新たな経営手法が導入されたにもかかわらず、日本企業の経営が、戦前とあまり変わらなかった理由を検討することにあったということです。
もちろん、多くの論者は、終戦を、大きな転換点としてみるし、財閥解体、農地解放を含め、日本的企業経営が変わったとみることもできます。しかし、実は、企業はその導入に慎重で、あまり変わらなかったという認識は、新鮮なものでした。それが、日本企業の成功を導いたという指摘もまた新鮮な驚きです。
 そして、欧米の個人主義と日本的な集団主義を比較しながら、企業経営には、集団主義のほうが適しているというのも、ひとつの重要な見方と、改めて感じます。とりわけ、欧米の経営手法を安易に取り入れることに熱心なあまり、失敗した例は、最近東芝に見るように、枚挙にいとまがありません。日本的経営がすべて正しいというのではなく、現在のような、グローバルな経営環境で、修正が必要であることは言うまでもありません。しかし、それは、日本的経営の良さを放棄することではないことも、この本が教えてくれました。まして、欧米と日本の質的な相違を、「遅れている」という、時間的な問題に還元する議論は稚拙と言わざるを得ません。それは、現今のインダストリー4.0の議論にさえ感じられることです。
 このような進取の気概にあふれる経営学が、かつてあったことにノスタルジーさえ感じます。米国流のポジティビスト、実証主義的研究、いいかえると、客観的因果関係を過剰に重視する経営学の研究が、経営学を悪くしたとさえ、私は思っています。この著書のように、ていねいに論じるという精神、姿勢が、数字に頼りすぎることによって、減少し、論旨展開、修辞的筆致に感動する論文が少なくなったことを悲しく思います。
このような研究者が、この大学にいたことは、驚愕ですし、もはや、そのかけらもないことにも、驚きを感じます。


2015年12月10日木曜日

明治維新とは、

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文明国をめざして (全集 日本の歴史 13)

を読みながら、

今、明治維新後のドタバタを読んでいますが、ほんとに、印象が変わりました。幕府開国派と、長州の復古派との戦いで、長州が勝って、しかし、開国を進めた。もし幕府開国派が勝ってもその後の大きな歴史が変わっていないとすれば、果たして明治維新が、革命と言えるのかどうか。今に続く大きな負の遺産がなかったかも。

尊王攘夷の長州が、なぜ、明治維新後に、開国に転じたのか、私にとって謎でしたが、この本で、理解しました。幕府がきずいた外交の流れを継承したこと、海外の状況を知って、攘夷ではないと悟ったことですね。しかし、いわば、ISISのように、原理主義の人間にとっては、それは裏切りだと感じて、反政府運動が盛り上がった。それに、身分の失った旧幕府の侍たちが、呼応したという、複雑な事情ですね。その旗頭に、西郷がまつり上げられ、本人の意図とは別に、です。政府側も、この機会に西郷をつぶそうとしたようです。びっくりぽん、、です。

2015年11月19日木曜日

物忘れとは

森繁久弥さんが、言ってました。幸せな老後のためには、忘れっぽくなることだと。そう、ど忘れは、神が与えてくれた人間への世渡りの資質・能力なのです。なげく事なかれ。。

2015年10月27日火曜日

創生する未来事業と地域活性化

 一般社団法人クラウドサービス推進機構の重要な事業の一つが「創生する未来」です。テレワークなど、クラウドを活用することで地域の活性化、とりわけ新しい仕事の仕方を再考することで、仕事を地方に移転できるかどうか、それが、この事業の大きな取り組み課題です。
しかしながら、地域活性化に有効な手立ては決して多くありません。むしろ、失敗の連続といってよいでしょう。田舎にパソコンを持ち込み、お年寄りに使ってもらおうという実証実験、マルチメディアスタジオを過疎地に設置し東京の大学生がそこを起点として活動するなど、話題となった事業のほとんどは、地元不在でほこりをかぶっています。そのような悔恨と反省の山が、日本中そこかしこにあります。
私たちは地方創生、地域活性化にどれほどのことができるのでしょうか。地方を持ち上げるだけ持ち上げて、はしごを外した人たちをたくさん見てきました。私たちもそれに少なからず加担してきましたし、身体を壊したり、行方知れずになったりした人を数多く見てきました。私たちができることは、あたかも現在に坂本龍馬が必要だというような無責任なリーダーシップ待望を議論することではなく、熱い心を持つ人に敬意を払い、その活動を安易に批判せず、邪魔せず、手を貸すということではないかと思います。なにより、地道な作業の積み上げ、熱いチャレンジの心と進取の気概が、地域活性化を語る人たち、地域のリーダーに手を貸す人たちに不可欠だと思います。しかし、そのような心が見えない人たちも少なくありません。
地方の活性化が叫ばれて久しく、さらにITを活用することで地方が活性化されると期待されてずいぶん経ちました。少なくない事例がメディアを通じて紹介されました。しかし、東京一極集中、地方の疲弊、限界集落増大が止まる気配はありません。
古代における地方の豪族支配から、国家による中央集権という変遷が歴史の大きな流れであるとするならば、また、富と人材と情報が集まる場所に支配的な力も集まってきたことを思えば、地方、あるいは地域の存在価値自体が減少することは歴史の必然なのかもしれません。
しかし、今の世界の情勢では、第二次世界大戦後の米ソの冷戦、ソ連崩壊後の米国の影響力拡大を経て、世界の支配勢力が後退し、Gゼロ、つまり世界に主導的な国が存在しなくなり、もはや、地域の紛争、諸問題を解決しうる軍事力、資金力、外交能力をもつ支配的勢力がなくなったといわれています。その間に、資本の論理が世界に充満し、富の格差が拡大してきたというトマ・ピケティの経済学も多くの支持を得ています。
日本においても、中央主導による「地方創生」という一見矛盾した政策に多くの人たちが望みを託していることも間違いありません。しかし今回の「地域をみがく」と題したパネルディスカッションは、この流れに異を唱えているのかもしれません。行政的な区割りである市町村の名前にとらわれるのではなく、歴史文化的に価値を高めるためにこそ地域を組み合わせることが提起されました。それこそが地域主導なのだと語り合われています。
 「地域をみがく」とはまさに、みがくに足る地域の再設定、それをデザインし直すことであり、また「こうすればみがかれる」というものではなく、主体的な取り組みなしにできるものではないのです。そこには、それをやり抜く人材が必要で、育成されなければなりません。しかし果たして可能なのでしょうか。
考えてみれば、日本はユーラシア大陸の辺境の地でした。大陸との間に海水が入り島国になりましたが、大陸、とりわけ中国から見れば変わらず辺境の地でした。そこに経済、文化的にも、第一級の地域が構築できたことを思えば、地域のあり方に関する膨大な経験とノウハウがここに蓄積されているはずです。多様な文化を融合してきた長い歴史がそれを物語っています。例えば、文字の伝来はその国の文化を大きく変えてしまうものですが、私たちの祖先は、音訓というきわめて奇妙な方法を編み出し、従来の文化と輸入文化の二重性を保持しながら使いこなすことに成功しました。当時、日本のことを「ヤマト」と発音していたようですが、それを中国は、「倭」と表記したにもかかわらず、日本では「大和」と表記しました。どこが「ヤマ」で、どこが「マ」なのかさえあいまいなままです。その後も「大」を「ヤマ」とも、「ヤ」とも読みすることはなく、「大和」は「ダイワ」であって「ヤマト」と発音することは長い間、なかったのです。
 さらに輸入された漢字だけを用いるだけではなく、仮名を発明し、カタカナも作り上げ混ぜ合わせて使いました。「土佐日記」などの古典に見られるように、公的・私的文書、男女や身分によって漢文と仮名の使い分けがなされていたようです。明治以降も、公式文書にカタカナが用いられるという多様な表記を駆使してきました。これらは中央から強制されただけではなく、地域の文化、そして民の知恵のなせる技ではなかったかと思います。
 もちろん、植民地という強制的文化支配が行われなかったことも大きく作用しているでしょう。しかし、それ以上に、地域が持つ文化への誇り、アイデンティティへの意識が、自分たちがもつ文化と輸入された文化との融合の方法を作りだしたといえます。

 辺境の地にあって、このような歴史と経験を持つ私たちが、中央集権的な統治から地域主体の構造へと変革することは、難しくはあっても乗り越えることができるような気がします。私たち自身によって、未来は創生するしかないのです。

2015年10月20日火曜日

開国への道 (全集 日本の歴史 12) 平川 新著 、書評

http://www.amazon.co.jp/dp/4096221120/ref=pdp_new_dp_review

開国への道 (全集 日本の歴史 12)
平川 新著


感動モノでした。著者の執筆力にもよるのでしょうか、楽しく一気に読めました。
江戸末期、日本は世界の6大帝国として、欧米から見られていて、それは、天皇を皇帝として位置づけ、それが継承されていることで、欧米から、世界のなかの帝国として見られていたことに、深く感動した。いつも、日本は遅れているといって、したり顔をする人にはぜひ、読んでほしい。
6大帝国とは、ロシア、オスマントルコ、神聖ローマ、ムガール、中国、そこに日本だ。イギリスもフランスも、ましてアメリカも入っていない。
ペリーの行為は、「当時の万国公法に違反するものだ」の指摘にびっくりした。今の日本の政治家、知識人に、必要な名言だ。

2015年10月16日金曜日

マイナンバー、二言目

話題のマイナンバーですが、中小企業は対応が遅れているという言い方は問題です。負担を中小企業になげておいて、できないお前が悪いというのは、おかしいです。
政府は、「お願いします」、と頭を下げて、補助金付きで、対応を依頼すべきです。システム開発には何百億??も使いながら、運用側の企業には、負担だけ、というのは、アンフェアです。

マイナンバーにひとこと。(1)

マイナンバー、知らなくても問題ないです。とみんなで、いいませんか。
知らないひとが多いという、指摘が、政府を中心に、たくさん投げかけられています。そもそも、知らなくっても問題ない、被害にも会わない、大丈夫な仕組みを作っていますから、安心、安全ですと政府には説明してほしいものです。
政府さん。あえて、難しいこと、不安をあおって、知らない国民は、アホだみたいな、広報は、不愉快です。やめてください。

2015年10月9日金曜日

中小企業のインダストリー4.0戦略

1.設備更新、withtIoT

2.業務確信、

3.企業間連携

中小企業のインダストリー4.0


まず、第1に、IoTでいうところに、thingsは、「もの」、だけでなく、「こ
と」、を含めた用語です。
言い直すと、、「もの」、に、、何か、「こと」、が起こった時に、自動的に、
ネットワークとつながるというのが基本的な考え方、その実現技術なの です。

その、「もの」に、「こと」が起こるのは、もちろん、現場です。現場とは、モ
ノづくりでは工場の中でしょうし、流通では、モノの入出荷、小売りで は、顧
客の購入が代表的な「こと」です。
それは、POS、POPの発展形だといってもいいです。特に、日本では、工場現場で
のバーコード、QRコード活用は、欧米、ドイツよりも、格段に 普及、活用、進
んでいます。
今でいえば、当然、それは、ネットでつながることが当然ですが、日本では、そ
の点で、先発であったがゆえに、不十分です。。
すくなくとも、日本のモノづくりの現場は、中小企業です。この現場をネットで
つなぐこと、これが、日本のIoTの中核的な課題です。

第2に、日本の中小企業では、ますます労働力不足が顕著になります。いくら景
気が良くても、労働集約的な生産システムでは、高い収益性、生産性 は、得ら
れません。人がいないからです。そのためには、高度な技術、先進的な設備機
器、自動化機器を導入し、労働集約的生産システムから、知識集 約的生産シス
テムに転換する必要があります。つまり、ロボット、IoTを具備した設備を導入
し、少ない技術者で、高い生産性が得られる企業にな らないといけません。
高度な機器導入は、人がいらないのではなく、技術力、技能に優れる職人が、従
来以上に、多くの仕事をこなせるようになることです。それしか、生産 性が低
い日本の経営を高い生産性の企業に移行できません。

第3に、サプライチェーン、企業間ビジネスプロセスの一気通貫化です。中小企
業の生産性を悪くしている大きな要素は、設備投資の不足だけではな く、大企
業が、自社独自の取引慣行にこだわり、中小企業が、脱下請け、系列外企業との
取引、複数企業との取引へと販路拡大するには、中小企業側に 多大な負担がか
かります。これが中小企業の生産性を悪化させています。中小企業の経営者が、
遅れていたり、勉強不足では決してないのです。
系列内 取引を前提としている取引慣行の大幅な変更、つまり標準化が不可欠です。
販売、見積もり活動から、受注、納入、回収に至る標準化が、中小企業の負担を
大幅に軽減するばかりか、資金負担、資金リスクを軽減するという大き な生産
性向上を間違いなく、実現します。
国際標準では、請求後速やかに支払うのが、普通ですが、日本の取引慣行、特に
大企業では、いまだに、2月後の支払いがまかりとおっています。もは や、下請
代金支払遅延等防止法で述べる60日以内という期限が、グローバルには周回遅
れ、時代遅れの規則なのです。


①IoTは、今までの日本企業の生産活動とどこが違うのか、具体的にいくつかの例
が必要です。
③大企業ならともかく日本の中小企業製造業にそれができるのか、IoTが実現する
②IoTによって今までと違うどのような経済効果がしょうじるのか、これも具体 例。
でやるより共同で協力してやった方がよいこと)があるのか。
ために政府(政策)や大学(科学的知見)、会議所などの経済団体が担う役割(一社 この3点を教えて下さい。来月下旬ごろでどうでしょう。。。
たが、日本は摺合せが得意なので、結局進まなかったと思います。
大企業よりも中小企業分野で先行して政府に提言にまでいければなあと。トヨタは抵 抗感もあるのでは、。20年前ですが、自動車部品のモジュラー化でVWは積極的でし

2015年10月6日火曜日

すべて 学校教育法が悪いのです

教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)なんて、ほとんどの人は、読んだことないでしょうが。
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


第七条  大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2  大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。


学校教育法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十六号)には、第三十七条  小学校には、校長、教頭、教諭、養護教諭及び事務職員を置かなければならない。


○4  校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。





第九章 大学

○3  学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する。





違いが判りましたか、監督と統督、、です。へえ。。です。

 したがって、学長は、教員を監督する役割ではないということだそうです。教員は誰にも監督されない。この法律から改正しなければ、大学は変わらないと思いました。自分の事件を経て強く感じました。学長も理事長も教授会の決定に口を出せない根拠になってますね。











2015年9月25日金曜日

内定辞退が増加

来ない新卒を待ってもしょうがありません。多様な働き方で、確保するしかないのです。1.0を5人集めるのではなく、2人分はITを活用し、0.2を10人集め、残りはITを活用。それを可能にするのは、業務を分析し、無駄をなくし、情報の共有を進めるしかないのです。仕事をそのままっで新卒ばかりを待っていてはいけないのです。

2015年9月21日月曜日

ふるさと創生、珍道中

2泊3日で、新潟を旅行した。クルマなしで、JR+バスで完結。そこからふるさと創生にむけた、現地調査です。
朝、大宮方、燕三条、そこから弥彦へ行くには、2時間時間待ち、そこで地場産センター見学、刃物いっぱいです。でも買うのは、やはり地元の食べ物、刃物への購買心は、なかなか、不十分。

補助金に任せて急いでやろうとしても出来ない。それなりのエコシステムが日本にできているんです。いくら石破さんが、優れた発言力のある政治家であっても、成果はそうすぐにでてこない。だいじょうぶかな。次期総理大臣は、できないことをやるといっているようにしか思えない。総務省の役人がかえって迷惑な顔をしている。政治家向けの仕事が増えたって。まさに、ナポレオンの村の、役人そのもの。



2015年9月17日木曜日

気まぐれで面倒な人たち、それを教授とよびます。

出版目的で、あるセミナーから起こした原稿を、一緒に校正していたのですが、最終段階で所属団体が許諾しないといって拒否されました。こういう人っているんですよね。所属団体が云々ではなくて自分が気に入らなくなったから、ですね。たぶん、自分の名前が、前にでないからとか。おそらく、その程度のこと。こういう、人を振り回して何とも思わない人を、大先生病というのです。もちろん、自覚症状はないでしょうが。本人のわがまま、社会の大迷惑、それが大先生病というものです。要注意、要注意

軽減税率というけれど、財務省提案は。

国民をバカにする小賢しい案であることが、よくわかる。インボイスベースが世界の潮流であるが、日本の中小企業が反対していると評する。しかし、大企業が、中小企業への支払いをインボイスベースに変え、月締め、それも、2ヶ月後の支払いを止め、請求書をインボイスベースで、すぐ支払えばいいのだ。そうすれば、何より中小企業の資金繰りが改善する。マイナンバーを導入したら、中小企業の資金繰りが楽になるといえばいい。もちろん、大企業にそうさせると、政治家が言えばいい。そしたら軽減税率にも喜んで協力するだろう。

2015年9月3日木曜日

学ばないプロフェッショナルは、もはや、プロフェッショナルではない

学びのない、プロフェッショナルは、もはや、プロフェッショナルたり得ない、、
と思うのです。
そして、プロフェッショナルの学びとは、知識を更新するだけでなく、ネットワークを更新することでもあると思います。

2015年8月29日土曜日

今日、発見したこと

朝ドラで、まれの店のことを、ブログに書き、そこに、自分への励ましを書いていた。
ブログってそういう風に使うんですね。反省、というより、もっとうまく、もっと誰かの役に立つようなことを書こうと。批判より。今日の発見。

2015年8月28日金曜日

どうしようもない

どうしようもない教員、経営陣、

そうね。

出版目的で、あるセミナーから起こした原稿を、一緒に校正していたのですが、最終段階で所属団体が許諾しないといって拒否されました。こういう人っているんですよね。所属団体が云々ではなくて自分が気に入らなくなったから、ですね。たぶん、自分の名前が、前にでないからとか。おそらく、その程度のこと。こういう、人を振り回して何とも思わない人を、大先生病というのです。もちろん、自覚症状はないでしょうが。本人のわがまま、社会の大迷惑、それが大先生病というものです。要注意、要注意
大学の教員でなければ、ただの天才バガボンみたいなのですが、みんなが先生と呼ぶので、」付け上がってくるのです。そう呼ばれないと気に入らない人が確かにいます。そこにいるとそれが自然に身に付きます。それを感じて、私に、先生と呼ばないでください、とい鵜用になりました。怖いのです。そう呼ばれないと、不愉快になりそうな自分があるもので。有識者と呼ばれる人たちの、人格の低下はもっと、指摘されていいかと思います

2015年8月24日月曜日

なにが問題か

大学の改革を阻害しているもの、悪くしているものは、誰の目にも明らかである。教授会であり、それを可能にしている教授会自治の亡霊であることは間違いない。
大学の自治が意味を持った時代があるのはたしかだ。1933年に発生した滝川事件(京大事件)に発するように、学問の自由を権力から守る歴史的な意義があったことは事実だ。しかし、今は、何から何を守るというのだろうか。
専門職を始めとして多くの職業が、もはや社会からむき出しにされている。警察官のスキャンダルで、彼らがモラルの高い信頼のおける人たちとは思われなくなった。公務員は税金のムダ使いの代表になっている。政治家への尊敬の念はとっくに失われている。
かつて科学革命の本質が聖俗革命にあると村上 陽一郎:が述べた。宗教社会が近代社会の矢面に立った。いまや、大学は残された数少ない特権社会、特権階層となっている。学問の自由に守られ、評価されることが少なく、その特権は依然として守られている。しかし、大学経営の悪化はあきらかにその実態を明らかにせざるを得ない。給与に手を付けざるを得ないからだ。良い教員を集めないといい学生が集まらないというのはもはや神話でしかない。教員の給与を維持するために、はじめに職員の給与を引き下げている大学もあるようだ。しかし、本当に、研究しかしない教員が、財務基盤の弱体のなかで必要な人間なのだろうか。教授会に人事権がある限り、大学に有用な教えることに優れた教員は採用できない。
じわじわと忍び寄っている、メディアの追求の手も、社会と同じルールを、この自治の名のもとに守られている現実をさらしつつある。いわく、大学改革を阻害しているのは、教授会だという声は日増しに大きくなっているからだ。

2015年8月21日金曜日

なぜ、大学は変われないのか。

ことが起こるたびに、大学の改革が叫ばれる。今度の内閣でも同じである。教育が大事、人材育成が大事、何度言われても、変わらない。原因も多くの人から指摘されているように、ほぼはっきりしている。
しかし、古い体質はかわらないし、そうこう言っているうちに、経営が悪化した大学が募集を停止する事態が発生し、その対策さえ、放置されている。なぜなのだろうか。なぜ、改革出来ないのか、改革されないのか。これから様々な観点から考えてみよう。

2015年8月18日火曜日

人徳というもの

仲間には、随分、感謝しています。その、外側の人たちに、ダメなようです。きっと、変な人、あやうい人、と見られているように感じてます。

やはり、私の再雇用の問題がこころにひっかかっていますが、それ以上に、私を頼って、ドクターコースに来られた3人を幸せにできなかったことが、堪えています。本人の努力以上に、学内の私への批判が、彼らを悲しい立場にさせてしまったことに、私を責めています。一生涯、、消えることなない、自分への批判、悔いです。あの時、教授会で土下座をしようとさえ思ったのです。それができなかった不甲斐なさにも。

2015年8月8日土曜日

請求と入金を自動照合、「MFクラウド消込」の正式版が公開

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20150807_715651.html

中小企業にとって、大きなメリットがあるクラウドサービスであることは間違いない。しかし、月末締め払いで、遅く、請求番号を明示せず、まとめて支払うという日本の経理業務プロセスが真の原因、請求即支払うという、業務慣習、IFRSで提案されている方法をグローバル企業でさえ、実施しないことが根本原因だ。知恵で細かく対応するのは日本らしいが、もっと大事なところにメスを入れない限り、根本的、抜本的解決にならない。国もこの点はずっと、見ないふりをしている。照合精度が上がっても、100%にならない限り人手で、確認するという仕事は無くならない。

2015年7月30日木曜日

勤務先ともめてやめるというのは悲しいこと

昨年、定年で勤務先を退職した。
再雇用、そして、学位審査という2つの不当な扱いという事件を勤務先に提起したが、微動だにしなかった。勤務先には失望しかない。

2015年7月28日火曜日

報道番組の基本中の基本

報道が一部の発言をとって非難する手法が定着してしまった。しかし、僕らが学生時代に、あってはならない報道の代表として学んだことだ。あまりにも、目的のために、手段を選ばないやり方が横行しすぎる。自殺行為だと思う。
しゃべる人がプロとは限らない。素人をあいてに、勝手に、記事を作るのは犯罪だ。

2015年5月12日火曜日

戦後70年談話とは

安倍さんが何を言うかに注目が集まっていますが、本質はそこにはないように思います。日本人みんなが、戦後をどう総括するのかにあると思います。
ほとんどの人が戦争はもうこりごりだといいます。そうでしょう。しかし、その考えは被害者のものです。悪いことをしたというのではなくひどい目にあったから、もういやだといっています。
もちろん、加害者であっても、被害者であっても、戦争を嫌うのは正しい感覚です。しかし、あまりにも、戦争経験者ほど、被害者意識が多いのも事実です。それでいいのでしょうか。
たしかに、広島や長崎は原爆投下は大量虐殺です。南京大虐殺が事実であッたとしてもそれ以上の被害を受けています。、日本中、多くの都市も空襲をうけ、それは民間人の虐殺です。
しかし、アジアを侵略したとするならば、それは、日本全体の犯罪です。もちろん、陸軍が悪いという総括もあるでしょう。
しかし、驚いたのは、ドイツの姿勢です。あの戦争は全てナチス、ヒットラーが悪いのだと、戦争に敗北したのではなく連合国がドイツの国民を解放したのだと、メルケル首相自身が言っているのです。そんな馬鹿な、あの時のドイツだって、民主主義、選挙でヒットラーは選ばれたはずです。それをヒットラーに騙されたというのは、筋が通らない話です。それを白々しく述べ、それを、旧連合国が、好むシナリオだということです。
日本で解放だと言ったのは日本共産党のような党で、その後も米国の急進派が日本を自分の思うように改革しようとしたのです。
そのシナリオが狂ったのは、冷戦、朝鮮戦争、さらにレッドパージのなかで、日本が左傾化するのを阻止した米国の思惑です。いわば、米国で、急進派が左遷され、右傾化が進んだことがその後の日本を変えた大きな要因なのです。

2015年5月10日日曜日

福間健二

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82065520X10C15A1MZB001/

佐藤泰志 そこに彼はいた 福間健二著 友が見た 自死した作家の切実さ 

http://amzn.to/1Fl1B4A

なつかしい。都立大に入学したとき、こんな学生が東京に入るんだとびっくりしたものだ。都立大学新聞で賞を取っていた。
大江健三郎の影響の強い小説だった。
大學に柴田翔もいたから、なんとなく、新左翼的風潮がいっぱいだった。

たしか、その関係で若松孝二を教えてもらった。
この本は、70年代にみんな変わってしまった中で、変わらなかった、福間と佐藤の付き合いの話らしい。

2015年4月22日水曜日

日本の歴史(小学館)「鎖国という外交」がおもしろいです。

日本の歴史、小学館

鎖国という外交

読んでいてこんなに面白い歴史本に、久しぶりに出会った。
何より外国人の日本史研究者の執筆であることが、何よりユニークな視点を提供してくれる。
まず、江戸時代は決して鎖国政策をとったのでもなく、幕府も鎖国という言葉を使っていないという。キリスト教を押し付けようとするポルトガルを排除し、限られた港を通じて幕府が貿易を管理し、その利益を独占しようとした政策であるという。これも考えれば至極当然のことだ。
江戸時代を通じて、日本と朝鮮の関係は良好であり、朝鮮通信使が、何回も往復し、日本の文化になじんでもいた。それが、明治になって、征韓論などがでてきたのは、長州の吉田松陰らの過激な思想、とくに、いにしえの文書を早飲み込みをして、朝鮮は日本より下だだという偏見(ヒットラーのユダヤ観に近い)からもたらされたとする。いわば、長州藩の狭い了見が、明治から昭和にかけて、さらにいえば、太平洋戦争敗戦まで日本をひっぱっていった元凶とさえ思わされる。
富士山は、日本の自慢であり、すでに世界一であると、当時の日本人は考えており、それは中国など海外にも知られていた。幕末に日本に来た外交官が富士登山に成功したが、下山時に、台風に襲われたとことを、汚れた外国人が清い富士山に登ったから、神様が怒ったと評されたエピソードなど、知らない事実を説き起こしてくれる。また、それが最新の研究者では、上司こになりつつあるというのも驚きだ。

2015年4月18日土曜日

マイナンバー制度の企業にとってのメリット

法人番号の話しに、実は、政府は興味がない。個人情報保護グループが担当しているので、法人のことは民間にお任せしますというスタンスです。だったら、我々が使ってやると思ったものです。いま、企業で使っている、取引先コードを、一元化できるメリットは大きいです。各社が持っている取引コードを変換するのは大変でしょうから、クラウドで法人コードをサービスし、各社がマッピングして使えば、今後、共通法人コードとして利用できる。EDIは、その入り口、入金も、送金元のあいまいなカタカナではなく法人コードで、入金確認が各自tにできる。要検討です。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/041500245/?ST=govtech&P=3

マイナンバー制度では個人にマイナンバー(個人番号)を割り当てるだけでなく、企業などにも固有の番号が割り当てられる。「法人番号」である。法務省が登記法人に割り当てた12桁の「会社法人等番号」の先頭に、検査用数字1桁を付加した計13桁からなる番号だ。実は、企業によっては、マイナンバーよりも法人番号の活用で得られるメリットの方が大きくなる可能性がある。

法人番号は税・社会保障の行政事務にとどまらず、民間の企業も個人も誰でも自由に使うことができる。


(1)の取引情報の集約とは、企業内の複数の部署、またはグループ各社で、異なる企業コードを用いて同一の取引先の情報を管理している場合に、法人番号を追加することで、取引先情報の集約や名寄せ作業を効率化できるというもの。国税庁が設置する法人番号公表サイトから、名称・所在地の最新情報を入手して更新することも可能になる。
 (2)の新設事業者への営業の効率化も、法人番号公表サイトの応用例である。今年の10月以降に設立登記される法人については、「法人番号指定年月日」による絞り込み検索ができるようになる。現状では新規の営業先を探すために登記所や信用調査会社の情報を入手する手間やコストがかかっているが、効率的に新規設立法人を見つけられるようになる。
 これら(1)と(2)は、今年10月から2016年1月までのどこかの時点で開設されるであろう法人番号公表サイトを使えば、すぐに実現できる。
 (3)の新規取引先の実績・資格確認は、2017年1月に予定している「法人ポータル(仮称)」の稼働が条件になる。法人ポータルは、個人向けの「マイナポータル」の法人版であり、個人向けと同様の自社法人情報表示機能、プッシュ型サービス、ワンストップサービスに加えて、オープンデータの法人情報表示機能の実装を計画している。法人ポータルに集約するオープンデータとしては、資格許認可・行政処分/勧告・表彰実績・入札実績・補助金交付実績などの情報が検討されている。企業が新規の取引先に対してこうした情報の提出を求めた際に、新規取引先が法人ポータルから自社情報を電子署名付きでダウンロードして要求元の企業に送信すれば、要求元の企業での裏付け調査の手間が軽減される。
 (4)の行政手続きの添付書類の削減は、政府内に、法務局の登記データベースや税務署の納税データベースなどを法人番号を基に参照できる企業情報連携基盤を構築することが前提となる。政府機関同士でこうした情報をオンラインで照会できるようになれば、企業は補助金や入札参加資格の申請の際に必要となる登記事項証明書や納税証明書などの添付書類を削減でき、手間やコストを省けるようになる。

プロフェッショナルと、プロフェッショナルでない人の違い

勉強をしない社会人は、いつまでたっても自分を主張することもできなければ、変化の担い手にはなれません。
これです。口先だけのプロフェッショナルにならないために。

2015年4月15日水曜日

スキルから、コンピーテンシー。。

スキルをポイント集めのように、あつめても、決して価値が、増大するわけではないと。スキルの時代は終わったといおうかなと思っています。
スキルがとても、細分化されすぎているので、そんなパズルを組み合わせても、業績に結びつく能力にはならない。その人の個性、素質、改善能力、やる気、そして、人生への考え方、、つまり、スキルは、つかうためのものであって、使う本人がアホなら、いくら、知識やスキルを高めたってしょうがないといいたいのです。

2015年3月29日日曜日

あきれてものもいえない

私をめぐる事件は、学位審査をめぐる問題から、様々な問題が、噴出したのです。

そこで、最初にもどって、最後に、学位問題を、アカデミックハラスメント、パワハラとして、学内の人権委員会にうったえました。もう1年前になります。
教授会で、白票が出て、否決となったため、指導上から、修正して再提出の流れを、いやがる当時の学部長を説得して、修正ポイントを示し、再提出にむけ、進めたのです。しかし、私が審査委員になれないため、別の教員が審査を担当することになったのですがこれが偏執的なひとで、「松島の研究はダメだ、こんな論文は、学位を通さない」と言い放ったため、院生は、この大学で学位を目指すことを諦め、別の大学院に入り直すことを決意したのです。
入学がほぼ決まったのであらためて、これは、学位という大学院生の権利を侵害するものだとして、アカデミックハラスメントとして、訴えたのです。もちろん、前代未聞です。

1年間もかけて、先週、弁護士も入った人権委員会の結果がでたと、連絡がありました。
こういう結果になるとは想像はしていましたが、しかし、実際にそうなってみると、ほんとに大学というところはどうしようもないところだと感じます。
見事にゼロ回答でした。事実を確認できなかったというものでした。

加害者の話から、そういう事実は確認できなかったといますが、、加害者が、人格に劣れば劣るほど、認めるはずもありません。特にこの教員のひどさは、学部でもみんな知っていますが、でも、かばうんです。
セクハラで、被害者が訴えているのに、加害者が、そんな覚えがないと言って通るものか、考えてみればわかるはずです。身内をかばった判断、身内に甘い体質、世の中も見るでしょう。

それなら、すべての授業をビデオにとれ、といいたいくらいです。証拠を被害者が揃えろというのは、強者、権力者の言い分です。それを恥と思わない大学とはいったいなんなのでしょうか。どこに領域があるのでしょうか。これでは、院生を、嘘つき、被害妄想と、言っていることと同じです。そういう感覚のなさに、驚くばかりです。

大學における人権委員会とは、被害者の立場に立ち、被害が大きくなり、それこそ裁判になるような事件を防ぐ機能だったと思うのです。これでは、文句があるんだったら、法に訴えろと居直っているようなものです。逆です。
大學に雇われる弁護士というのは、大学を守るように行動するのです。

これでしたら、やはり人権委員会は学内ではなく、完全に学外の第3者で構成されなければ、公正な判断あの期待できないというものです。人権意識のなさに驚くばかりです。
被害者は、もうこの件は終結したい、武蔵にきたことさえ忘れたいと言ってます。大學はが学生をなんだと思っているのでしょうか。

私も大学の世界とは関係なくなりましたが、大学の改革なんて、妄言ですね。ありえない。

2015年2月4日水曜日

なぜか、

私を貶めたといわれた教員が、自分の、継続勤務への申請をしなかったと、潔いという見方があるようですが、単に、自分も、却下されたらという、不安がよぎったのではないか。