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2015年4月15日水曜日

スキルから、コンピーテンシー。。

スキルをポイント集めのように、あつめても、決して価値が、増大するわけではないと。スキルの時代は終わったといおうかなと思っています。
スキルがとても、細分化されすぎているので、そんなパズルを組み合わせても、業績に結びつく能力にはならない。その人の個性、素質、改善能力、やる気、そして、人生への考え方、、つまり、スキルは、つかうためのものであって、使う本人がアホなら、いくら、知識やスキルを高めたってしょうがないといいたいのです。

2015年3月29日日曜日

あきれてものもいえない

私をめぐる事件は、学位審査をめぐる問題から、様々な問題が、噴出したのです。

そこで、最初にもどって、最後に、学位問題を、アカデミックハラスメント、パワハラとして、学内の人権委員会にうったえました。もう1年前になります。
教授会で、白票が出て、否決となったため、指導上から、修正して再提出の流れを、いやがる当時の学部長を説得して、修正ポイントを示し、再提出にむけ、進めたのです。しかし、私が審査委員になれないため、別の教員が審査を担当することになったのですがこれが偏執的なひとで、「松島の研究はダメだ、こんな論文は、学位を通さない」と言い放ったため、院生は、この大学で学位を目指すことを諦め、別の大学院に入り直すことを決意したのです。
入学がほぼ決まったのであらためて、これは、学位という大学院生の権利を侵害するものだとして、アカデミックハラスメントとして、訴えたのです。もちろん、前代未聞です。

1年間もかけて、先週、弁護士も入った人権委員会の結果がでたと、連絡がありました。
こういう結果になるとは想像はしていましたが、しかし、実際にそうなってみると、ほんとに大学というところはどうしようもないところだと感じます。
見事にゼロ回答でした。事実を確認できなかったというものでした。

加害者の話から、そういう事実は確認できなかったといますが、、加害者が、人格に劣れば劣るほど、認めるはずもありません。特にこの教員のひどさは、学部でもみんな知っていますが、でも、かばうんです。
セクハラで、被害者が訴えているのに、加害者が、そんな覚えがないと言って通るものか、考えてみればわかるはずです。身内をかばった判断、身内に甘い体質、世の中も見るでしょう。

それなら、すべての授業をビデオにとれ、といいたいくらいです。証拠を被害者が揃えろというのは、強者、権力者の言い分です。それを恥と思わない大学とはいったいなんなのでしょうか。どこに領域があるのでしょうか。これでは、院生を、嘘つき、被害妄想と、言っていることと同じです。そういう感覚のなさに、驚くばかりです。

大學における人権委員会とは、被害者の立場に立ち、被害が大きくなり、それこそ裁判になるような事件を防ぐ機能だったと思うのです。これでは、文句があるんだったら、法に訴えろと居直っているようなものです。逆です。
大學に雇われる弁護士というのは、大学を守るように行動するのです。

これでしたら、やはり人権委員会は学内ではなく、完全に学外の第3者で構成されなければ、公正な判断あの期待できないというものです。人権意識のなさに驚くばかりです。
被害者は、もうこの件は終結したい、武蔵にきたことさえ忘れたいと言ってます。大學はが学生をなんだと思っているのでしょうか。

私も大学の世界とは関係なくなりましたが、大学の改革なんて、妄言ですね。ありえない。

2015年2月4日水曜日

なぜか、

私を貶めたといわれた教員が、自分の、継続勤務への申請をしなかったと、潔いという見方があるようですが、単に、自分も、却下されたらという、不安がよぎったのではないか。

2014年9月30日火曜日

恩讐の彼方に

3月に定年退職したので、ちょうど今日で半年になります。想定内、想定外、いろいろです。おかげさまで、思った以上に、忙しく動いていることは確かです。稼働率は、勤務中の70%くらいでしょうか。もっとも、大学の勤務なんて、どこまでが勤務で、どこからがプライベートかは判然としませんが。
さて、通常、定年退職というと、お別れ会が、いくつかあって、最後の日には、送別のことば、「ご苦労様」と、「お世話になりました」の返礼の交換と花束贈呈というのが通常で、玄関までのお見送りというのもあるのかもしれません。
ご存知の方も多いでしょうが、私の場合、そのすべてがなかったという意味で、奇妙な退職、といってよいでしょう。
送別会なし、ご苦労様を誰から言われず、お世話になりましたを、誰にも言いませんでした。憎しみだけが残った退職です。勤務先は、それを知っていても、誰も、責任を感じないどころか知らん顔、大学というところは、それほど、人間味の乏しい、それが人を教えるという場所であってよいのだろうかという、不信感だけが残りました。

2014年5月7日水曜日

経営学とはなにものか

科学をもって因果的説明というのは通説
有為的エージェントが所期の結果をひきおおこす
関数概念で因果概念を説明する
自然における連関は、ひとつ原因とひとつの結果をあげうるほどにたんじゅんなことはまれである。
記述の体系
f(a,b,c,,,)
自然法則は、自然のなかで適切の行動しよう、げんしょぅに直面して混乱狼狽することのないようにしようというわれわれの心的要求にこたえるものである。

2014年4月3日木曜日

わらっていいとも


学部各位

栗山氏の著書「情報システムを成功に導く経営者の支援行動」が、電気通信普
及財団主催の日本テレコム社会科学賞を受賞しました。

http://www.taf.or.jp/award/telecom.html

http://www.taf.or.jp/award/prize/29_telecom.html

この受賞によって、栗山氏の論文が、経営情報学領域における、本年度のもっと
も優れた論文のひとつであることが認められたのです。

お忘れでしょうが、この論文は、2012年3月に、審査委員会が合格とした学位申
請論文を、白票によって教授会が否決した、あの論文を単著として出版したその
ものです。

審査委員会が合格とした論文を投票だけで否決したため、否決理由が明示されな
いので、板垣前学部長と協議し、修正の方向を指示し、再提出の流れを作りまし
た。再提出にあたっては、新たな審査委員候補者のレビューを受け、円滑な審査、
合格へと進めるべく、手順と道筋を、板垣前学部長自らが示しました。

修正された論文が2012年12月に提出され、事前レビューが2013年1月末に実施さ
れました。
審査委員候補者は、席上、以下のコメントをしたと報告されました。

1.モデル、数式をもって、普遍性、再現性を持たない論文は研究とは言えず、
博士号に値しない。事例研究などは論文にはならない。ましてや博士論文として
は認められない。

2.教授会で一度否決された学位は、通常は再審査の対象にならないし、仮に審
査されたとしても、基本的には通らない。

3.松島教授の指導は間違っている。松島教授は再任を否決されたので、これか
ら博士号請求論文を書き直して再提出しても、松島教授は審査委員会に入ること
はなく、彼の評価が、審査委員会の評価になることはない。

栗山氏は、両氏のコメントを前にして、武蔵大学は自分に、研究指導への熱意が
ないばかりか、学位を出す意志がまったくないと判断し、学位申請を断念しまし
た。

博士過程を満了した院生の学位取得への情熱と正当な権利と機会を、奪ったのです。

その後、この論文を単著として出版し、今回の受賞となりました。世間は、優れ
た研究として認められたのです。

前回の大学基準協会の審査において、経済学部で学位が授与されないことが指摘
され、大学の方針として大学院教育指導の強化が記載されているにも関わらず、
指導の実態は、この程度であることが明らかです。

また、ご存知のように、松島の特任教授の申請は、2012年10月の教授会にて、審
査委員会が合格としたにもかかわらず、教授会での白票によって否決されました。
特任教授は業績を審査し、学務上の必要性を判断するもので、あなたたちは、私
が必要ないとし、否定したのです。
松島はそれに関して、これまでの合格とした人と、どこに差異があるのか、合理
的な理由が明示されていない、著しく不公平であると、理事長はじめ学園幹部に
不服を申し立てました。さらに、東京労働局に労働紛争を申し立てました。

その間、大學は、多額の費用を支払って、法律事務所に調査を依頼
し、その結果、「良識あるはずの教授会が良識ある決定をしたはず」、という報
告がなされました。
さらに、教職員組合の幹部は、「労働者の働く権利
より教授会自治の維持が大事だ、白票も声なき声だ」といいました。

その間、大学から、なんら理由を明示することはなく、最終的に、理事長は、教
授会決定に従うのみだと文書で回答しました。

袴田事件は再審に至りましたが、教授会決定には、異議申し立ても、再審申請の
機会もないのです。

教授会の決定はそれだけの責任を伴っているにもかかわらず、いまだに決定
の説明責任を果たしていません。

ただ、ひとつ、2013年1月に開催された、理事、評議員、幹事との意見交換会の
発言録(H25.03.21付)に、「特別任用教授の投票で落選者を出す等、自らを律
する緊張関係にある」と述べることをみても、松島を特別任用教授にしないこと
が、教授会が、正常に機能している証拠だ、と強調するように、松島は、いわゆ
るガバナンス紛争のスケープゴートにされたのだという、当時の噂が真実である
ことを疑わせます。

このたび、私の教育実践を、出版しました。あなたたちは、私の教育業績を否定
しましたが、世間がどう評価するか、その可否を問うことにしました。

この2つの事案は、もはや、あなたたち以外の学内の教職員の間では、ありうべ
き「事件」として語られ、あなたたち教員として不可欠な評価能力への疑いを超
え、さらに、学外の多くの人たちの笑い物に、なっています。
文部科学省、教育再生会議での、変わるべき教授会自治の格好の事例として、お
そらく参照されるに違いありません。
これらの責任は、すべて、あなたたちにあります。

この2年間は、とても、つらい長い時間でした。ほとんど一人で戦ってきました。
本当に疲れました。
私は、あなたたちの不当な差別的な振る舞い、あなたたちの人としてありえない
行動を、一生、忘れないでしょうし、まちがいなく憎みつづけることでしょう。


松島桂樹



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2013年4月15日月曜日

CCC、キャッシュコンバージョンサイクル(Cash Conversion Cycle)への着目

CCCとは、キャッシュコンバージョンサイクル(Cash Conversion Cycle)の略称で、現金循環化日数のこと。

企業の仕入から販売に伴う現金回収までの日数を示し、この日数が小さいほど、企業の現金回収サイクルが早いことを意味する。

計算式:CCC=DIO(在庫回転日数)+DSO(売掛債権回転日数)−DPO(仕入債務回転日数)