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2012年3月14日水曜日

学位の品格

博士号というのがある。これを学位という。いわば最高学府である大学院が、認定する。それは最高の良識の証左ともいえよう。資格というのかどうかはわからないが、社会的に認知度の高いものであることに異論をはさむ人はほとんどいないであろう。
過去からいえば、文系では、いわば、歳をへた経験、実績を積んだ研究者が取得するものという認識が強いが、理系では、博士課程を修了した認証として授与されるという大きな違いが厳然として存在した。
それが証拠には文系では学位のない教授は、普通のことであるが、理系では、考えられない。格付けも、文系では教授の上に博士があり理系では博士の上に教授があるといってもよい。
海外では、よく言われるように、博士課程の修了が学位授与とする傾向があり、文部科学省もそれを奨励していると
される。つまり論文博士ではなく課程博士を重視すると言っているようだ。ちなみに海外で、たとえばホテルやコンファレンスで、自分の称号をしるす時、prof. とするか、Dr.とするかは意外に、気になる。どうも、profのほうが上ではないかと感じることがある。そんな違いが、文系、理系にあるのも確かなようだ。
しかし、この認定が実は研究レベルであるよりポリティクスによることも少なくない。”おれがもっていないのにどうして認定するのだ、オレはもっと歳をとってから取得した、なのにどうして認定するんだ”という好き嫌い、ネタミが少なくない。要は、大人げない社会的に未成熟な集団が意思決定をするからだ。このような社会で投票による認定という一見客観的な振る舞いが、日本の学位の品格を大いに低下させているのは間違いない。

2011年5月24日火曜日

貸し花壇はいかが。

場所は横浜市西区、野毛山動物園のそばです。
連絡は matsu1948@gmail.com

2011年5月4日水曜日

原発問題での安全基準(1)

 東電や政府に向かって情報公開、それも安全基準のデータを示せという声が少なくない。たしかに、暫定値だの基準値などが都合よく変更されているのを見ると、もっと客観的な科学的データを示せという意見は妥当なものと思える。
 しかし、客観的な安全基準がどこかにあるように思うのは明らかにミスリードだ。あるはずがないのだ。豊富なデータから真実を見極めるという実証的手法が適用できるはずがないからだ。どのくらいで人に悪影響が起こるなんてデータは、人体実験でもしない限り、あろうはずがない
 科学技術にはいつも、客観的、科学的知見があるという誤解が、多くの人にあって、ないものねだりをしたがる。政府や東電に向かって情報公開を迫るのはいいが、安全基準は、社会的、それも政治的にしかつくられない。安全をうたう人はそのためのデータを示し、安全でないという人はそういうデータを示しているだけなのだ。おそらく両者とも客観的データに基づいているというはずだ。

2010年9月7日火曜日

武井淳 「ビジネス構造化経営理論」


武井淳執筆による 「ビジネス構造化経営理論」 を読んだ。


 大著であり、なかなか読みこなすのに大変だが、ビジネスを情緒的でなく構造から 理解し、その変革を提起している姿勢に共感を覚える。 日本では米国に比べて、なぜか、実務と学界の距離がなかなか縮小しないのが現実で、 努力の割に進まない。 このように実務家が単なる事例紹介を超え、多くの理論を踏まえた、いわば研究成果 として出版されることは、ほんとうに喜ばしい。
 学界はこれまで、このような、特にコンサルの手になるものを軽視しすぎていた。 しかし、学界が実証主義的研究が過ぎて、こまかいいわゆる重箱の隅をつうくといわ れて久しいが、それでなければ業績とみなされず、学会誌にも掲載されないとい う制度上の問題を克服できていない以上、多くを期待する訳にはいかない。
 コンサルの強みは、いうまでもなく、実際の企業の生の声、そして、人間が経営して いるという感触を肌で得ている点である。しかし、それを、そのまま書くというのもま た、学界との距離をちぢめることにつながらない。 今回のような理論を踏まえながら、あくまで最適化、全体性を重視した論考にこそ、 価値があると考える。 たとえば、「事例主義からの脱却」には非常に共感を覚える。エクセレントカンパ ニーの事例研究はそれなりに価値はあるが、それが汎用化されうるのか、企業 のコンテキスト、資源ベース風にいえば経路依存性(その企業の歴史をふまえた)を、 十分、認識しなければ、安易に参考に出来ないはずである。そこに、解釈や、志向性( 働きかけ)のはいる余地が十二分とあると考えるからである。
 構造化理論はある意味で客観性重視であり、構造改革のためのものである。 この本が、日本の経営も大きな貢献をするとともに、日本のコンサルビジネスの発展に寄与 することを願ってやまない。

2010年5月2日日曜日

バス停で

よくお年寄りのかたと一緒になります。
楽しいことがひとつでもあれば、生きられますねえと、いったけど、これは自分に言った言葉。
生きがいが見つからないとき、そうしようと。今は、確実に、ひとつは、ある。それを幸せの源と考えて。。

2010年1月15日金曜日

スパコンと事業仕分け

 日経ビジネス12月21-28合併号直言極限「スパコンは無意味」を読んだ。事業仕分け、とりわけスパコンを巡っての様々な議論がなされたがやっと、IT専門家の、いわ ばまともな意見を初めて聞いた思いがした。 
 松本氏は、こう述べる。世界一というのは感情論であるばかりでなく、その指標自体が無意味になっている。高速なハードの開発よりも、製品を早く開発できるソフトツールのほうが、明らか に価値が高くなっている。 
考えてみれば当然のことだが、高速処理能力のハードが必要だということと、科学技術への投資が必要だということと、スパコン開発に税金を投入するということとはまったく同義ではない。 
すでに主戦場はハードからソフト、そしてクラウドに代表されるサービスに移っているときに、高速処理のためのハードを開発することの意義は、少なくてもIT産業にはまったくないというの は常識である。 スパコンが言い出され、開発に着手してからすでに20年たつ。
その間、少なくとも、ハードウェアの世界で、Unix機を米国メーカーからOEM販売するというように、日本か らすぐれた製品を輩出したという話は聞いたことがない。 かつてもスパコンに、投資するよりももっと、優先順位の高い重要な開発プロジェクトがあったはずだ。 
ノーベル賞学者を並べた政治的なセレモニーにもうんざりした。復活という動きもあるようだが、優先順位を決める科学技術会議での議論も公開されるべきではないか。